年末年始

だいぶ更新しておりませんでした。久しぶりに本を読んだので書こうと思いましたが、その前にケジメをつけようと思います。

 

年末に父が亡くなりました。パーキンソン系の病気にかかり、だんだん弱っていきました。コロナのせいで会えない時期があり、その2年ほどの間に別人のようになってしまいました。痩せて話すことも難しくなり、、、という。コロナ前の2020年の正月は酒も飲めて話も普通にできていたのですが、2022年5月に会った時にはかなり弱ってました。

頑丈な人だと思っていたので、病気とはいえこんなに弱ってしまったことに自分は大変ショックを受けましたし、本人も無念だったと思います。健康ならまだまだ動ける年齢(75歳)でしたので。

 

年末29日未明に亡くなったため、火葬や葬式は年明けとなり、しばらく葬儀場に泊まり込みました。さらに、私は長男とはいえ、母は健在、弟が実家の会社を継いでいる状況にも関わらず喪主をつとめることになりました。

 

通夜、火葬、葬儀と3回喪主挨拶の機会があり、なかなかこれも緊張するもので、頭もいっぱいになるものでした。気が常に張っていて、悲しむ余裕もありません。。。弔問には昔懐かしい方もいれば、全く知らない方も多く、喪主なので挨拶はきちんとする、ということをとにかく徹底しました。県知事が弔問に来られた際は、さすがに緊張しました。

 

喪主挨拶は母が色々言ってきたので、それを入れつつ自分の言葉で話して、せめてもの父に対する親孝行になるようにと文章を考え、なんとかカンペを見ずに話すことができました。葬儀の時は、衆院議員の方が来られていて(いるなとは思ったけど)、こんな人の前で挨拶するのかと内心思いながら話しました。そもそも100人レベルの方が来られていて、それにも驚きました。もうここまでの規模の葬儀を見ることはないのではと思います。

 

タイミングにより父の本当の最期の時に立ち会うことはできませんでしたが、話すこともできない状態で、呼吸がだんだん弱っていく姿を見ると、もはや頑張って生きてくれ、とは言えなかった。苦しそうではなかったのが救いではありますが、にしてもあの姿を見るのは辛い。経験した人にしかわからないものだと思います。それでも、亡くなる前日に2人でいる時間があったので、話すことができたのはよかったなと思ってます。

 

また、釣りが好きだからと戒名に「釣」を入れろと母が言ってたので、いやいやそれはあからさますぎだろと思って、自分が「渓」の字にしようと提案して通したのは、今回よかったなと思っています。

 

色々書いてしまいましたが、とにかく寂しいというのと、ここまできてもまだ実感がない、という複雑な心境です。